「対馬丸」(大城立裕)①

国や軍隊は何を守ろうとしていたのか

「対馬丸」(大城立裕)講談社文庫

昭和19年8月22日、
沖縄から本土に向かった
学童疎開船対馬丸は
米潜水艦の魚雷を受け、
深夜の海に沈んだ。
乗船者1661名、
うち学童800余名。
生きのこった学童は
わずか50余名…。

本書は対馬丸撃沈事件を
小説の形で忠実に再現したものです。
以前紹介した「海に沈んだ対馬丸」
(早乙女愛著:岩波ジュニア新書刊)
を読んでいましたので、
概要は知っていたのですが、
こうして読んでみると、
そのあまりの悲劇に
胸が締め付けられる思いです。

700人以上の罪のない
幼い子どもたちが命を落とす。
戦争はいつも最も弱い者に、
最も残酷な仕打ちを与えるのです。

「海に沈んだ対馬丸」を
読んだときにも感じたことですが、
この「疎開事業」が一体
何のためのものだったのかと考えたとき、
怒りがこみあげてきます。
対馬丸は客船ではなく
老朽化した貨物船であったこと。
被弾したときの対応策や避難計画が
まったくなかったということ。
護衛艦に見捨てられ
漂流中に多くの人たちが
亡くなったということ。
運良く生きのこった子どもたちには
厳重な箝口令がしかれていたこと。
悲劇の連鎖、というよりも
無責任の連鎖というべきでしょう。

この疎開事業の目的が
島民を戦禍から守ることに
あるのではなく、
沖縄戦に備えた
軍の食糧確保のための、
戦力にならない者の
口減らしのためであることは明白です。

今回本書を読んでさらに驚いたのは、
この大惨事の記録が
まったく残されていない
ということです。
沈没の日時の特定すら
ままならなかったのですから。
箝口令が敷かれただけではなく、
細部にわたる被害実態調査が
一切行われた形跡がないのです。
このこと自体が、
対馬丸撃沈事件の本質でしょう。
国や軍隊は
何を守るための存在であったかが、
ここでも明らかです。

さて、本書の巻末には
資料として「対馬丸遭難学童名簿」が
収録されています。
遭難した子どもたち全員
(判明している分)の
名前と年齢が綴られています。
この名簿は本書において
小説部分と同等、
もしくはそれ以上の重みを持って
読み手に迫ってきます。

戦争の悲劇を現代に伝える
貴重な一冊として、
中学生に薦めたいと思います。

(2019.8.13)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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